藤原 連貞(ふじわら の つらさだ、生年不詳 - 天延2年(974年))は、平安時代中期の貴族。名は連真連直とも記される。藤原南家、上総介・藤原滋茂の子。官位は従五位上・尾張守。

経歴

村上朝初頭に三河権掾を務める。

のち、円融朝にて尾張守に任ぜられるが、天延2年(974年)正月頃より尾張国の百姓らに国司としての非法を訴えられ、5月になって連貞は解任され散位・藤原永頼と交替させられた。これは、国司苛政上訴の初見となっている。同年中に連貞は卒去したという。

官歴

  • 天慶9年(946年) 10月28日:見三河権掾
  • 時期不詳:従五位上
  • 天延2年(974年) 5月23日:停尾張守。日付不詳:卒去

系譜

『尊卑分脈』による。

  • 父:藤原滋茂
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原為章
    • 男子:藤原為元
    • 男子:慶円(944-1019)
    • 女子:藤原典雅室

脚注

参考文献

  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年

F879 藤原連茂

F832 堀 則季

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