徳大寺 公全(とくだいじ きんとも)は、江戸時代中期の公卿。官位は正二位・内大臣。

経歴

天和2年(1682年)に叙爵して以降清華家当主として速い速度で昇進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将などを歴任し、元禄5年(1692年)に従三位となり公卿に列する。権中納言・踏歌節会外弁を経て元禄12年(1699年)に権大納言に就任。元禄13年(1700年)から宝永元年(1704年)にかけては神宮伝奏をつとめ、正徳2年(1712年)から享保4年(1719年)にかけては武家伝奏をつとめた。享保4年(1719年)には内大臣に任じられた。

系譜

  • 父:醍醐冬基
  • 母:藪嗣孝の娘
  • 養父:徳大寺実維
  • 正室:徳君(近衛家熙の娘)
  • 家女房
    • 男子:徳大寺実憲(1714-1740)
  • 継室:宗義真の娘
    • 女子:阿部正直室

関連項目

  • 徳大寺家
  • 醍醐家

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