福川 将和(ふくかわ まさかず、1976年12月29日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(捕手)。

経歴

プロ入り前

高校までは一塁手であったが、通算10本塁打を放ち、社会人時代は25本塁打を放っている。大学4年から捕手となった。同期の徳元敏とバッテリー組み大学選手権出場、4年春秋ベストナイン、春は優秀選手、秋は首位打者。

社会人・三菱自動車岡崎では正捕手として都市対抗野球準優勝に貢献。

2001年のプロ野球ドラフト会議において、ヤクルトスワローズから5巡目で指名を受け入団。

ヤクルト時代

2002年は1軍出場無し。

2003年4月5日の対阪神タイガース戦(大阪ドーム)で一軍初出場を果たし、4月11日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初安打を放つ。

2004年は一度も1軍出場することなくシーズンを終えた。

2005年はわずか2試合の出場に終わる。

2006年は一軍に昇格すると、同時に昇格した丸山貴史とバッテリーを組み、自身も同年6月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦(明治神宮野球場)でMICHEALから本塁打を放つなど活躍した。

2007年は86試合に出場し、台頭した。

2008年は盗塁阻止率.400でセントラル・リーグ1位に輝いたものの、守備率.989と捕逸7個はリーグワーストを記録するなど、守備面で大きな課題を残した。

2009年は相川亮二が加入したことで捕手争いが激化し、前年に比べて出場機会数が減った。同年7月28日には持病である左手首が悪化したことで登録を抹消され、手術を受けて残り試合を棒に振った。

2010年以降は出場試合数が大幅に減り、同年は15試合で打率.231・2打点。

2011年は10試合で打率.182・1打点に終わった。

2012年8月19日の対読売ジャイアンツ戦(イースタン・リーグ)においては、中井大介に対しての暴力行為で退場処分を受けた。同年10月2日に戦力外通告を受け、現役を引退した。

引退後

現役引退後は、ヤクルトのブルペン捕手を務めていたが、2015年の秋季キャンプ終了後から打撃投手へ転向した。

2018年10月30日、2019年から同球団の二軍バッテリーコーチを務めることが発表された。その後、2022年まで同職を務め、2023年は一軍野手コーチ補佐兼スコアラーを担当。2024年からは一軍打撃コーチを務める。同年契約満了でコーチ契約が終了した事が発表された。

2025年より、オリックス・バファローズの二軍打撃コーチに就任した。背番号は79

選手としての特徴・人物

強肩強打の捕手。遠投110m、本塁から二塁までの送球は2秒8、脚力は本塁から一塁間で4秒15を記録している。

プロ2年目に同学年の女性と結婚。

詳細情報

年度別打撃成績

年度別守備成績

記録

初記録
  • 初出場:2003年4月5日、対阪神タイガース2回戦(大阪ドーム)、5回表に前田浩継の代打で出場
  • 初打席:同上、5回表にトレイ・ムーアから三振
  • 初安打:2003年4月11日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、5回表に前田浩継の代打で出場、クリス・ホルトから右前安打
  • 初打点:2003年4月16日、対阪神タイガース4回戦(明治神宮野球場)、7回裏に石井弘寿の代打で出場、藤川球児から左翼線へ決勝適時二塁打
  • 初先発出場:2003年5月7日、対読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、6番・捕手で先発出場
  • 初本塁打:2006年6月13日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(明治神宮野球場)、9回裏に坂元弥太郎の代打で出場、MICHEALから左越ソロ
  • 初盗塁:2007年6月23日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(明治神宮野球場)、4回裏に二盗(投手:小林宏之、捕手:里崎智也)

背番号

  • 37(2002年 - 2012年)
  • 113(2013年 - 2018年)
  • 87(2019年 - 2024年)
  • 79(2025年 - )

脚注

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 東京農業大学の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 福川将和 - NPB.jp 日本野球機構

福川 隆之|エージェント紹介|RE/MAX LStyle

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福川将和 野球選手データ

ヤクルト打撃投手・福川将和 野球界を支える舞台裏の仕事人

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